それはにとって、
一つののようなものだった

TARO OKAMOTO'S OKINAWA - WHAT HE FOUND

もう一度、太郎と沖縄を彷徨う旅に出る STORY

日本を代表する芸術家・岡本太郎(1911-1996)は、1959年と1966年、「沖縄」に旅をした。

きっかけは、日本人としてのアイデンティティを探し求めて、日本再発見の旅に出たこと。

彼の究めたかったものは、日本人とは何か?自分自身とは何か?の答えを求めることだった。

その旅の、一番最後にぶつかったのが、「沖縄」であったのだ。

60年以上も前の沖縄の旅で、太郎が捉えたものとは、素っ裸で生きる人々の"痛切な生命のやさしさ"だったという。

岡本太郎は、「沖縄とは、私にとって一つの恋のようなものだった」と言うほど、全身、全存在をこの対象にぶつけた。

そして岡本太郎は、ある結論を導き出す。

「沖縄の中にこそ、失われた日本がある」

「沖縄ではじめて、私は自分自身を再発見した」

岡本太郎は、自ら沖縄へ溶け込み、そして自分自身と出逢ったのだ。

それほどまでに恋した太郎の沖縄とは、一体なんだったのか?

そして、「岡本太郎の沖縄」は、今の私たちに何を投げかけ、今の私たちとどうつながるのか?

それを確かめるため、もう一度、太郎と共に沖縄を旅するドキュメンタリー映画である。

本作は、前回から取材を重ねながら、更に数年かけて、再構成・再編集した「ドキュメンタリー映画 岡本太郎の沖縄(完全版)」。

岡本太郎 Profile

芸術家。1911年生まれ。29年に渡仏し、「アブストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会」に参加するなど30年代のパリで前衛芸術運動に参画。

パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。51年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。

50年代後半には日本各地を取材し、数多くの写真と論考を残した。70年大阪万博のテーマプロデューサーに就任。太陽の塔を制作し、国民的存在になる。96年に没した後も、若い世代に大きな影響を与え続けている。