久高ノロ
この写真の久高ノロに導かれて映画を作った。しわくちゃだけど、美しい瞳。しかし、こちらの心の内を見透してくる瞳のようにも見える。まるで、自分自身の深層を映し出す鏡のようにゆれるまなざし。そのノロの瞳をよく覗き込んで見ると、太郎と敏子が微かなディテールのままシルエットとなって映りこんでいる。
ノロは太郎が出逢った2年後の61年に、91歳で亡くなっている。お孫さんたちによると、「この写真は、おばあさんが太郎さんを受け入れた顔です。受入れなければ、こんな顔しない」。意外にも厳格すぎるノロとして島では有名だった。太郎が撮影した久高ノロの写真は、家族もめったに見たことのない〝彼女の素顔〞だったのだ。なぜ、久高ノロは、太郎だけを受け入れたのだろうか?
実は、この久高ノロのばあちゃんは、自分の次の代で、久高ノロ制度もイザイホーも終焉することを既に知っていた、最初で最後のノロでもあった。(※「岡本太郎訪問マップ」ページ久高ノロ参照)
「昔はどう生きるかだった、今はどう生活するかじゃないですか」
太郎は、沖縄のそんな時代の端境期の中心に立ち会って、ノロの素顔を撮って遺した。そこに何か大きな運命を感じてしまう。「流れる場の瞬間にしかないもの、それが媒体となり、それらを通して直観し感じ取る、永劫。悠久に流れる生命の持続。」つまり、「太郎の沖縄」とは〝沖縄を媒体にして、自分自身を見つめた旅だ〞とするならば、太郎が撮影した沖縄の写真は、同時に太郎そのものが写りこんでいるのではないか?
沖縄の旧盆は「いのちのつながり、いのちのやさしさ」を感じさせる。エイサーの太鼓。若者たちの姿。走り回り、泣き、そして眠る子供たち。それでも懸命に生きるいのちの輝きがあった。失われたと思われた、いのちそのものを彷彿とさせる。
家族、いのちのつながり。そして今の私たち自分自身。あらためて太郎の言葉と情熱をどう受け止めたらいいのだろう。
「小さくてもここは日本、いや
世界の中心だという人間的プライドをもって
豊かに生き抜いてほしいのだ。
沖縄の心の永遠のふくらみとともに…」 - 岡本太郎
平敷屋エイサー
うるま市平敷屋では、毎年旧盆の時期になると、沖縄の伝統芸能のひとつである平敷屋エイサーが行われる。17世紀に琉球に辿り着いた浄土宗の僧侶である袋中上人から約300年の伝統を守った念仏踊りで、エイサーの原形だといわれている。
監督:葛山 喜久
(かつらやま よしひさ)
雑誌編集、映像プロデュース、大学職員を経て、主にドキュメンタリー映画を企画・製作。
「ダライ・ラマ法王 沖縄訪問の記録」、「HisHoliness the 14th Dalai Lama~Power of Compassion~」ほか。