ドキュメンタリー映画

岡本太郎の沖縄

監督 葛山喜久かつらやまよしひさ

TARO OKAMOTO'S OKINAWA

この写真に魅了された
感動した

この写真が、すべてのはじまりだった。この久高のノロに魅了されて、のちに映画を作ることになった。ノロとは、島の祭事を司る最高位の司祭主である。

岡本太郎は、「沖縄」に旅に出た。1959年11月から12月にかけてと、1966年12月は久高島イザイホー取材の旅。それは名著「沖縄文化論-忘れられ た日本」に綴られ、写真集「岡本太郎の沖縄」となった。

太郎はわずか2週間ほどの旅で、数百枚に及ぶ見事な写真を残している。那覇の市場・首里の坂道・竹富島のおばあさんとおじいさん、石垣島の市場で活気溢れて働く女たち、読谷の闘牛、喜如嘉のおばあ、糸満のうみんちゅ(漁師)、そして久高島・・。知らないのに、やたらと懐かしい。60年以上前の沖縄の旅で、太郎が捉えたものとは、素っ裸で生きる人々の〝痛切な生命(いのち)のやさしさ〞だったという。太郎の写真を見つめながら、今の沖縄は、太郎の沖縄とつながっているのか。あるいは、もうつながっていないのか?

それを確かめる旅をしてみたい。そう思った。

ノロ
現在の沖縄

現在の沖縄

太郎の時代とは違い、アジアからの観光客で溢れかえる那覇国際通り。あるタクシーの運転手は、今の沖縄の状況に憂いをみせる。アジアの某国は沖縄でホテルを買い漁り、本土のお客は、観光と上面だけを見て沖縄を分かったつもりでいる人が多いのだという。

一方で、昔ながらの沖縄の風景がどんどん消滅してゆく。那覇で赤瓦は見たことがない。かつての農連市場があったその場所には、今ではマンションがそびえ建ち、その市場に座って何十年も商売をしていた沖縄らしいおばあさんたちも、今ではすっかり見かけなくなってしまった・・。もはや戦前の沖縄が残る場所とは、皮肉にも、誰も手出しができない基地の中だけになっていた。

その基地をとりまく問題。ナショナリズムやマイノリティ。互いの主張がフェンスの前で激突する。沖縄返還から50年経った今でも、そんな固定概念だけをぶつけ合ったままで、一体何が変わったというのだろうか? そもそも、「沖縄」とはなにか?

「沖縄の中にこそ、忘れられた日本がある」
「沖縄で、私は自分自身を再発見した」 - 岡本太郎

太郎の写真と同じ場所に行き、同じ風景を訪ねて重ねてみる。見えてきたのは、失われたもの。何もかも変わってしまったもの。今まさに変わろうとしているもの。それでも、変わらないものを探す旅。

それは、太郎の沖縄とは何かにつながるものでもあった。

喜如嘉は芭蕉布の里

太郎の写真には、偶然にものちに人間国宝となる平良敏子が写っていた。芭蕉布会館へと続く坂道。太郎と同じ場所で、同一人物が同じ構図に自然と収まった瞬間(とき)だった。太郎が訪れたとき(‘59)と何も変わらない。彼女の1日を見つめる。彼女の1日は、彼女の人生の縮図でもあった。

彼女の人生とは、〝喜如嘉に生かされ、芭蕉布に生きる〞。

それは彼女の生き様が、まるで沖縄そのものでもあるかのように。現代と過去の幕間から眺める、私たちのこころの根底にある情景-。それは、久高島の神女たち、久高ノロのイメージとも重なる。そして、太郎の沖縄とは何かにつながる兆しのような気がした。

喜如嘉は芭蕉布の里

久高ノロ

この写真の久高ノロに導かれて映画を作った。しわくちゃだけど、美しい瞳。しかし、こちらの心の内を見透してくる瞳のようにも見える。まるで、自分自身の深層を映し出す鏡のようにゆれるまなざし。そのノロの瞳をよく覗き込んで見ると、太郎と敏子が微かなディテールのままシルエットとなって映りこんでいる。

ノロは太郎が出逢った2年後の61年に、91歳で亡くなっている。お孫さんたちによると、「この写真は、おばあさんが太郎さんを受け入れた顔です。受入れなければ、こんな顔しない」。意外にも厳格すぎるノロとして島では有名だった。太郎が撮影した久高ノロの写真は、家族もめったに見たことのない〝彼女の素顔〞だったのだ。なぜ、久高ノロは、太郎だけを受け入れたのだろうか?

実は、この久高ノロのばあちゃんは、自分の次の代で、久高ノロ制度もイザイホーも終焉することを既に知っていた、最初で最後のノロでもあった。(※「岡本太郎訪問マップ」ページ久高ノロ参照)

「昔はどう生きるかだった、今はどう生活するかじゃないですか」

太郎は、沖縄のそんな時代の端境期の中心に立ち会って、ノロの素顔を撮って遺した。そこに何か大きな運命を感じてしまう。「流れる場の瞬間にしかないもの、それが媒体となり、それらを通して直観し感じ取る、永劫。悠久に流れる生命の持続。」つまり、「太郎の沖縄」とは〝沖縄を媒体にして、自分自身を見つめた旅だ〞とするならば、太郎が撮影した沖縄の写真は、同時に太郎そのものが写りこんでいるのではないか?

沖縄の旧盆は「いのちのつながり、いのちのやさしさ」を感じさせる。エイサーの太鼓。若者たちの姿。走り回り、泣き、そして眠る子供たち。それでも懸命に生きるいのちの輝きがあった。失われたと思われた、いのちそのものを彷彿とさせる。

家族、いのちのつながり。そして今の私たち自分自身。あらためて太郎の言葉と情熱をどう受け止めたらいいのだろう。

「小さくてもここは日本、いや
世界の中心だという人間的プライドをもって
豊かに生き抜いてほしいのだ。
沖縄の心の永遠のふくらみとともに…」 - 岡本太郎

久高ノロ 岡本太郎

平敷屋エイサー

うるま市平敷屋では、毎年旧盆の時期になると、沖縄の伝統芸能のひとつである平敷屋エイサーが行われる。17世紀に琉球に辿り着いた浄土宗の僧侶である袋中上人から約300年の伝統を守った念仏踊りで、エイサーの原形だといわれている。

平敷屋エイサー

監督:葛山 喜久
(かつらやま よしひさ)

雑誌編集、映像プロデュース、大学職員を経て、主にドキュメンタリー映画を企画・製作。
「ダライ・ラマ法王 沖縄訪問の記録」、「HisHoliness the 14th Dalai Lama~Power of Compassion~」ほか。